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七つの海を渡るなら、夢は置いてゆくがいい。

独りで世界を渡るなら、夢を忘れず行くがいい。

高みを目指し、足掻くは若人、

時代はうねる、狂気にも似た―――

人々の思いによって。


 海も山もある、そして肥沃な土地を持ち豊かだが、軍事力に欠ける王国。
それがこの国の評価だった。
動乱の、戦の絶えぬこの時代には、それは致命的だ。
しかしそんなことはまだ、その国に暮らす人々には関係がない。
と云うより、そんなことを知っているのは一握りのものだけだった。
王族の者ですら腐敗しきっていて知らぬようだ。
人々は、変わらぬ暮らしが続くと疑いもせずに、暮らしていた。

 海辺の街の、白い街並み。
潮風が吹き抜ける。港に停泊する船たちが波で揺れる。
朝早くから市が開かれている広場では、大道芸人たちがそれぞれの芸を披露している。
歌うもの、ナイフを操るもの、火を噴くもの、水を使うもの、沢山の芸人たちがいる。
 その中に、その道化師はいた。
藍色の袖のない上着に、白い麻のズボンと同じくゆったりとしたシャツを下に着ている。
そう、チャイナ服とでも云うのだろうか。
長い黒髪を項のあたりで蒼い玉の髪紐で纏めている。
 不敬にも、その上に青い王冠をのせていた。
安物の生地とくすんだ金属。それでも不敬にはあたるはずだった。
この国の第一皇子が青い王冠を被る予定であることが、民衆の間には広まっていたからだ。
ただし道化はそんなことに構いはしない。
道化師の道化師たる所以である。
 道化は狐の仮面をかぶって、これまた青い玉の張られた美しい扇子を使い舞っていた。
扇子は王冠とは違い、一道化師のものにしては随分と高級すぎるものに見受けられた。
そしてその体つきからは、性別は分からない。
軽業を危なげなく披露しては、ゆるりと艶かしいまでの動きで観客を挑発する。
見物人はどんどんと増えて、ちょっとした騒ぎだった。

 楽団の奏でる音楽が一際高くなって、その道化は仮面を外して宙高く放り投げた。
現われたのは、奇妙な化粧を施している、端正な顔。
眼尻に紅を、唇には黒をのせ、それ以外には白を塗っていた。
見慣れたクラウンとは明らかに違う化粧に、見物人の多くは新しい仮面だと思ったようだった。
確かに、そう思うのも半ば当然でもある。
切れ長の瞳が、他の芸人たちのそれよりも多い見物客を舐めるように見回す。
 黒い唇が弧を描いて、サテ大技をお披露目いたすがと云いかけた時。
野太く無粋な声が響いた。
「道化師!」
白いかっちりとした制服の集団。
王国海軍だった。
道化師はつまらなさそうな顔をして舞をやめた。
けだるそうにゆっくりと屈強な男たちと対峙する。
「他に仕事はないのかい、少佐」

 その黒髪は若い道化師の後に付いて弧を描いた。
先ほどまでと同じ、ゆったりと舞っている、ような。
ただしその周りには放射線状に制服を着た人間が無残に転がっていた。
右に扇子を(どうやら鉄扇であったらしい)、左に左脚を、とアクロバティックに兵をなぎ倒す。
最後の一人を余裕で遠くへ蹴り飛ばし、道化師は息一つ乱さずに一人の男に声をかけた。
「ただの道化に敵わぬとは」
王国海軍も堕ちたものだね。
 云われて複雑に笑んだのは最初に声をかけたのと同じ男である。
くすんだような茶髪をオールバックにしている。制服の肩と胸には勲章が光っていた。
つまらない、と今にも云いそうな口ぶりで道化師はだめ押しした。
「そうは思わないか、少佐」
その道化師は妖艶に微笑んだ。
それにしてもハスキーな、よく通る声だ。
男のはずなのに、異様なまでに色がある。
 「僕のような道化師一人位、簡単に召し捕れるはずだろう?」
道化師はしゃがみ込んで足元の下仕官一人の顔を上げさせた。
扇子を下仕官の顎に当てている。
腹を道化師に蹴り飛ばされた下仕官はかたかたと震えて怯えた表情を浮かべていた。
よく見ればまだまだ若い。道化師と同じか、それ以上に若いのだろう。
道化師は白々しくもああ可哀想に、と言ってから黒く塗られた唇を吊り上げて笑った。
「やめろ」
少佐が流石に顔を引き攣らせて云った。
道化師はそれをちらりと横目で見てから艶笑を浮かべた。
くすくすと笑う。
「僕は無抵抗の弱い人を殺すほど血に飢えちゃいない」
それにこの人はまだ若いしね?
結構可愛い顔してるじゃないか、いじめられたらあいつに泣きつけよ、と少佐を指して道化は云う。
「そんな莫迦なことを云ってないで、本当に戻る気はないのか」
少佐はそう云ってこめかみを押さえた。
どうやら頭痛がするようだ。
「ないね」
道化は即答する。
上げさせていた顔を静かに地面に降ろしてやってから続けた。
「宮廷道化師もさ、おもしろくはあったんだけど」
もう飽きた、とにこやかに道化が云う。
 少佐がはあ、とため息をついたと同時に、王国軍のラッパが響いた。
「援軍か」
道化師がそう云って立ち上がる。
じゃあな、と少佐に扇子をひと振りして見せて、商家の屋根に飛び上った。
あとに残された少佐は、またしても幼馴染に逃亡された理由を頭の中で練るほかなかった。

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