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 ドン!

 大砲の発砲音に驚いたゴウは、信号兵に怒鳴りつけるようにして手旗信号で味方鑑に合図を送った。
(馬鹿野郎! なぜ撃った!?)
 もとより発砲命令を受けた上での出航ではあるが、彼我共にまだ射程圏内ではないのだ。
 信号が返ってきた。
(砲兵は全く操作しておりません。大砲が勝手に作動しています!)
「なにぃ!?」
 ゴウの脳裏に、王宮内で捕まえた魔導師の姿がよみがえる。
「あ……の……野郎っ!!」
 間違いない。あの魔導師は自分からわざと捕まり、獄中から強力な魔力を使っているのだ。王宮からの距離を考えれば、普通の魔導師なら魔力が届く心配がないのだが、あの魔導師は特別強力な奴だったのだ。
 味方に信号を送る。
(全鑑、対魔法結界展開!)
「安心できん。対魔法結界が勝つか、魔導師の方が強力か……」
 つぶやきながら、信号兵から旗を奪い取り、自ら手旗信号を送り始めるゴウ。敵艦に向けて旗を振り始めた。
「どうするのさ、少佐? 撃っちまった以上、ドンパチはじめるしかないだろう?」
 エレナが不思議そうにゴウに聞く。
「ああ。搭載した装備は全て使う! 準備しとけ!」
 ゴウの返事を聞くと、細かい指示を受けることなくエレナは右舷へと走り去っていく。
 敵の甲板士官が双眼鏡を目に当てているのが辛うじて判る距離まで、双方の艦隊の距離が縮まってきた。
(今のは警告だ。その海域はシナリー王国の領海である。退去勧告に応じない場合、武力攻撃も辞さない)
 敵艦から、すぐに返事が返ってきた。
 双眼鏡をのぞいていた信号兵がゴウを振り向いた。青い顔をしながら、相手の信号通りに告げる。
(笑止! 本艦隊は貴艦隊を撃破する)
「まあ、そう来るだろうな」
 相手の返事はゴウの予想通りだ。
「全鑑! 最大船速! これより敵艦隊と交戦するっ!」
 ゴウの乗る旗艦の大砲が勝手に動き出した。
「俺の船えぇー! 俺の言うことを聞けぇー! 今はまだ撃つ時ではないっ!!」
 大砲が動きを止めた。
「王宮からこれだけ離れているのだ。対魔法結界と乗組員の意志の力があれば、魔導師ごとき恐るるに足らん! 僚艦にもそう伝えよ!」
「はっ!」

*          *          *


「全鑑! 艦隊戦用意! 総員、戦闘配置!」
 伝声管を使い、艦長から各船室へと命令が伝えられる。
 俄に慌ただしくなり緊張感の高まる鑑内で、ミャオは別の緊張から解放された。
「天井から監視とは趣味が悪い。しかしやーっといなくなったか」
 だが事態は最悪だ。今からシナリー艦隊との艦隊戦に突入しようとしている。
「このままじゃゴウの奴と撃ち合いだ。同士討ちなんてぞっとしねえぞ、おい」
 考えろ……!
 窓の外に目を遣り、必死に考えを巡らすミャオ。その時――
「なっ!?」
 僚艦の砲塔が、あろうことかこちらを向くのが目に入った。
「くそ、ひとまずバヌールに知らせるか!」
 傭兵はメインクルーではなく、砲撃戦の間は出番がない。敵艦との砲撃戦に勝利した際、甲板上の生き残り兵と戦う役目なのだ。
 ミャオは、さきほど退出したばかりのバヌールの部屋のドアを激しくノックした。
「リャオか、入れ!」
 ミャオは偽名を使っていた。
 入室したミャオの左右から、剣が突き出された。ミャオはふたりの男に挟み撃ちにされた格好となった。
「な!?」
 屈強なふたりの男達は、バヌールの副官とも呼ぶべき立場の傭兵だ。
 ミャオは一旦は目を見開いたものの、努めて冷静に振る舞った。
「何のテストですか、これは。それより、味方から大砲を向けられてますよ、この鑑に!」
「ふむ。見込んだ通り、度胸のある男だ、お前は。そこで、ひとつ質問なんだが」
 副官たちは剣を収めない。
「……」
「我々は傭兵だ。アビルトに雇われている。だが、どうやら給料を払うのが嫌になったらしい。……我々をわざわざ旗艦に乗せるというから探りを入れていたのさ」
 戦艦ひとつ沈めてでも傭兵を始末しようというのか、アビルトは。
「シナリーを手に入れれば安いものなんだろうさ、戦艦一隻くらい」
「わかっていたのなら……、しかし、さすがに多対一では勝ち目がないのでは?」
「まずはこちらの質問に答えてもらおう。貴様があくまでアビルトのために戦うか、私についてシナリー側に協力するかを聞きたかったのだよ」
 ミャオは内心でほくそ笑みながら、性急な答え方をしないよう慎重に考えを巡らせた。
「私はもともとアビルトに雇われたつもりはありませんよ。あなたに雇われたと思っています。しかし、待ってください。シナリーに協力するにせよ、それをどうやって伝えるんです?」
「見くびってもらっては困るな。これでも数えられないくらい修羅場を生き残ってきたんだ、我々は。面の割れてる仲間しか乗っていないよ、この艦には」
(ってことは、他の戦艦にも傭兵のスパイが乗り込んでいるってことか)
 思案顔のミャオに対し、バヌールが掲げて見せたのはミャオのマフラーだった。
「――!」
 マイクに気付かれたと考えるべきだ。流石に冷や汗を流すミャオに、バヌールは微笑んで見せた。
「心配するな。平和ボケしたシナリーにいつまでも留まろうとは思わん。この艦隊戦が終わるまで、貴様はわたしの部下だ。報酬はシナリーの王宮からがっつりといただく」
 言い終えると同時にバヌールが投げて寄越したマフラーを受け取ったミャオは、仮初の上官ににやりと笑いかけた。
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 その頃、首尾よく傭兵隊長のバヌールに気に入られて傭兵になっていたミャオは歯噛みしていた。
―――あのアホ野郎共め、勝手に怯えて出撃命令なんか出しやがって。
しかし、そんな胸の内を今ここで素直に曝すわけにはいかない。
ここはシナリー王国の海上に浮かぶ戦艦たちの後方だった。
つまり、司令塔となる本部の、要は最高位にある船だ。
ミャオはそこで、バヌールとささやかな茶会を開いていた。
「この茶葉は悪くないな」
度数の強い酒を垂らした紅茶を口に運ぶバヌールが、ミャオに話しかけてきた。
「…そうですね、」
確かに、身体は温まる。この寒い国にはうってつけの飲み物だ。
銀に近い金髪を男のように短く切って立たせている、ミャオの仮初の上官。
バヌールがうっすらと笑って青い紋様入りのマグカップを揺らした。
そう、恐ろしいことにバヌールは若い女だった。てっきりミャオは男だと思っていたのだが。
しかし、一度会ってみて、ミャオは彼女の傭兵隊長と云う肩書に納得した。
アビルトと同じ、冷え切ったアイスブルーの、笑っていない瞳がミャオを見つめている。
この茶会、ささやかだが決して和やかな空気ではない。
お互いがお互いの胸の内を探り合いたがっている。
「お前はあの国、どう思う」
金色のティースプーンで、シナリー海軍のいるであろう方角をバヌールが指した。
その爪が薄桃色に塗られている、とどうでもいいところを目にして、ミャオは正直に答えた。
「シナリーはお世辞にも軍事的に強いとは云えなさそうですが」
「それはそうだな。上が酷いのか、こんな時期に出撃するなんて」
それはきっと大当たりだ。少なくともゴウはこんな馬鹿ではない。
多分あの海軍の船のどれかに乗り込んでいる馬鹿だとは思うが。
バヌールがつまらなさそうに椅子に深く座りなおした。
支給された白い軍服が気に入らないのか、肩の動きをしきりに気にしている。
ああ、とミャオはその軍服を指して付け足した。
「ただ我が国だってそんなに頭のいい奴らばっかりじゃないと思いますが」
あの冬国ならこの白さで雪にも紛れられるが海の上じゃモロばれだ、と続ける。
「それは云えている」
鬱陶しい、とバヌールは吐き捨てて、結局ジャケットを脱いで隣の椅子に無造作に掛けた。
黒いタンクトップとの対比だけでなく、普段日の当たる外で生活しない冬国の人間の肌の白さだった。
その豊満な胸の上でドッグタグがちりちりと鳴る。
「お前も吸うか?」
タバコ、と箱を示されたのを首を振って辞退した。軽業師にタバコは禁物だ、と胸の内で舌を出す。
バヌールが銜えた真新しいタバコに火をつける。ふわり、と紫煙が広がった。
「さて、このまま一気に叩き潰すか?」
あのシナリーを、とバヌールは続けて、細く煙を吐き出した。
「例え軍事的に弱くても、あの肥沃な暖かい土地は魅力的だ」
アビルトはとても寒い、こんな薄着では生きていられない、と自嘲的にバヌールは呟く。
碌に作物も作れず、国土の北ではさらに極寒の不毛の地だ。
「シナリーとは真逆ですね」
軍事的に弱くとも、肥沃な土地で豊かに実る作物で豊かに暮らせるシナリー。
しかしアビルトでは殆どの作物は作れず、短い夏が終わればその後は保存食で暮さねばならない。
それがゆえに軍事的な強さを手に入れたとも云える、永遠の冬国。
「あの国では、花々が咲き誇る春も、強い日差しの夏も、多くが実る秋も、あるのだろうな」
「…おそらくは」
肺いっぱいに吸い込んだ煙を、ゆっくりと味わって吐き出す。
アビルトの人間にとって、それほどまでに暖かい土地は魅力的なものなのだろうか。
だからこそ、こうも執拗にシナリーを欲しているのか。
ミャオはそんな風に考えながら、空になったバヌールのカップに紅茶を再び注ぎ込んだ。


―――それほど愛国心が強いタイプには見えない。取り込むのは難しそうだが。
そう云う認識を深めながら、バヌールの部屋を辞したミャオはコツコツと廊下を歩いていた。
すれ違う下っ端たちが挨拶をしてくる。
下っ端たちのレベルは低いが、あの日ミャオが叩きのめした野郎はその中では割と上位だった。
まあ、レベルが低くなくても下品だったりすることは、ある。
そう云う訳で、彼らはミャオに一目置いてしまったのだ。
無用なトラブルがない代わりに、彼らに近づきにくくなってしまった。
彼らの情報は玉石混交、ガセも多いが、親しくなっておくことで役立つことは多い。惜しかった。
しかし不可抗力だった。そう割り切って、今の仕事に専念しよう。
そうして自室に向かうミャオを、天井の眼が追っていた。
黙ってそれを見ていたバヌールは、三本目のタバコに火をつける。
スパイであるのか、それとも単に偶然によって入隊した男なのか。
シナリーだってただでやられはしないということなのか、買い被りすぎか。
控え目な色がのせられた唇の右端が吊りあがったのを、バヌールは自覚する。
まだ判らないが、どうせ戦うなら簡単に叩きのめせる相手より、少しでも強い相手が好い。
シナリーの軍艦がいる方角を見やって、バヌールは静かに闘志を呼び覚ます。

「ミャオの奴め、相変わらずだな」
 眼前にはコバルトブルーの鮮やかな空が広がり、少し視線を下げると、水平線に堤防が見える。そして足元には空を更に濃くした深い海の青が広がっている。
 ゴウは、磯の香りのする海辺で茶色の短い髪をなびかせながら、大男達に指示をだしていた。
 いや、ゴウだって、小柄ではない。しかし、海の男たちはそれ以上に屈強で大柄な連中が多かった。
 ブーツを履いた足で大地を蹴れば、さきほどまで油断して近づいていた船虫が蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。
 その大柄な連中を顎でこき使っている、正しくは仕事をさせているのは、我がシナリー王国からの指示が下ったからである。
 依然シナリー王国の海上に位置する敵艦は動こうともせず、攻撃するでもなければ、退くわけでもなかった。
 それに威圧された王宮内では、なぜ攻撃しないのか、軍を動かせという圧力が、ゴウの所属する海軍にものしかかってきた。
 上官から命令されれば、断ることのできない世界。
 今は手を出すべきではないとゴウは判断していたが、王宮の皇族たちはそれを良しとはしなかった。
 つまり、敵艦を始末する事を海軍に委ねられた事になる。
 結果、ゴウの部隊にも出撃命令が下ったのだった。
――やれやれ。こっちはミャオの奴がうまくやってくれるのを望むばかりか。こう戦力に差があってはな。
 ゴウは舌打ちしながらも、肩に担いでいた剣で、サボっている奴の背中をつつく。
「・・・」
 ゴウの無言の圧力に、強そうな大男が頭を下げた。
「あ、これは少佐、申し訳ありやせん」
 そいつは、その辺に置いてあった積荷を担ぐと、作業を再開した。
――うちの部隊が出張ってどこまで持つか。
 彼は振り下ろしていた剣を再び肩に担ぎなおした。
 軍隊は戦力を保持してはいる、しかし、その力をどう使うかが重要なのだ。最初から不利と分かっていても戦力を投入するのか。政治で解決できることはなかったのか。
 願わくば戦いにならずに事を得たいと思っていたのだが、王宮に従事するもの、それは許されないことだった。

 背後から声がする。
「こっちは準備が整ったぜ、少佐」
 ハスキーボイスに、日に焼けた褐色の肌。
 ゴウが、踵(きびす)を返すとまず飛び込んできたのは胸元。風船のように張り裂けそうな、女性のそれは、いきなり彼の頭上に現れた。
 うっと声に詰まっていた彼は気を取り直すと、背後の高い石段の上に登っているその声の主を見上げた。
「はっ」
 飛び降りると、ゴウよりも身長は低い。
 褐色の肌に、白い皮の鎧と白いブーツ。長い赤毛はポニーテールにしている。
「エレナか。相変わらず、作業が早いな。他の船団はどうだった?」
「ばらつきはあるが、まあだもう少しかかりそうだね。少佐も油を売ってるようだな」
 すると、ゴウは、少し肩をすくめてみせた。
 他の指揮下の船団も遅れがでているのだから、ゴウの部隊もそれと同等で差し支えはない。
「今回は、急ぐ旅ではないのでな。無理に急かす必要もない」
「へぇ。敵さんがいるってのにかい?」
「ふっ、残念ながら我々に敵う相手ではないのでな。王宮の連中も・・・」
 言いかけて、軽く頭を左右に振った。
「おっと。ここでは慎むべきかな」
「なら、船上で聞こうかい?」
 エレナは指揮艦であるゴウの船に、戦闘員として乗り込む事になっている。
「ははは、暇な航海になればな」
 死地に赴く事になるかもしれないのに、彼は軽快に笑い飛ばした。
「これから戦争になるってのに、お気楽だな」
 エレナはそれを冷やかすように言った。
「それとも何か、策でもあるってのかい?」
「さあな」
 ゴウは軽く鼻であしらった。
「ちっ。そこまでは私には言えないってのかい。ま、いいさ。王宮の腰抜どもに一泡吹かせてやる」
 エレナはすぐ後方に見える白い壁の王宮を見やった。
「王宮の腰抜どもはちっとも役にたたない。ここのところ上からの命令もマトモじゃないしね。まるで、生気を抜かれているようだよ。私は近寄りたくないんだけどね」
 そこのところはエレナと同じ事をゴウも感じてはいた。しかし、立場上口には出さない。
「どんな命令であれそれに従うのが、国に仕えると言うこと。お前も、今後も軍にいたいのなら、口を慎むべきだな」
 そんなゴウに対して、「おもしろくないね」と言いながら、彼女はその場を後にした。
 頭上には白いカモメが鳴きながら羽ばたいている。
 風は良好。
 帆走(はんそう)にはもってこいだ。
名称未設定-11

 戦力に差があるとはいえ、ここは港に面した王国。それなりの軍備はある。
 港にはずらりと並ぶ戦艦、その出航準備に追われる乗員たち。
 中でもひときわ目を引く塗装の船が汽笛をあげる。
 中央の煙突から煙を吹く。魔動炉に火が灯ったのだ。
 徐々に岸壁から離れていくと同時に、船員達がセイル(帆)を上げる作業にとりかかる。
 マストに登り、ヤード(マストに垂直に交わる横棒)に結び付けられているロープをはずして行くと、白いセイルがちらついてくる。
 ロープを外すと次はセイルを上げる為に別のロープを手にして甲板を走る。
 滑車が音をたてて回ると、一枚ずつ帆がはられていく。
 白い帆がはられた船団は風の力と魔動炉の力の併走で沖に出る速度を増して行く。
「さて。うちらも行くかい?」
 日陰でくつろいでいたゴウは、すっくと立ち上がった。
「なんだい、それを決めるのは少佐の仕事だろ?」
 エレナはゴウが歩き出す前に、自分の乗るべき船に向かって歩き出した。
 青年は寒さをこらえ、やや猫背気味に歩いていた。
 ここはアビルト王国。常冬の国だ。
 切れ長の瞳、すっと通った鼻筋。きりっと真っ直ぐな眉は、意志の強さを感じさせる。その外見は、誰もが眉目秀麗な美青年だと認めることだろう。
 だが彼は、さきほどから妙な仕草を続けている。
 口をすぼめたり開いたり、それだけではなく“ぴー”とか“しゅー”とか、意味不明な音がその口から漏れているのだ。
 彼こそがシナリー王国の宮廷道化師、ミャオである。
 ミャオの顔に、いつもの化粧は施されていない。別に構わない。ここにはもともとミャオを知る者などいないのだから。


 今回の任務は今までのどんな物とも違う。
 何しろ、もしかしたらこれから起きるかもしれない戦争を防ごうというのだ。さすがのミャオも緊張し、ゴウから指示された酒場へと向かう。もう寒がっている場合ではない。ミャオは意志の力を総動員し、背筋を伸ばした。
 酒場の間近まで来たとき、ミャオは隠しマイクに向けて言った。
「なんで酒場なんだ?」
 いくら無声音での連絡とはいえ、至近距離にいれば音は聞こえる。その様子は、さながら“馬が走る音を口真似している小さな子ども”とでも言おうか。
 変わった癖を持った奴だという程度の誤解で済むなら良いが、ここは敵国だ。どこに私服の警官がいるかわからない。この程度のマジックアイテムならどの国にもある。経験豊かな警官なら、今のミャオの様子を見ただけで、無声音による暗号通信に気付く可能性も否定できないのだ。当局へ連行されでもしたら、任務どころではなくなってしまう。

 そうこうするうち酒場が見えてきた。店に出入りする人が、ミャオの目の前を通過していく。皆ミャオ同様に着ぶくれしているが、寒さに慣れているためか背筋を伸ばしてきびきびと歩き去っていく。
 ミャオからの連絡は、これを最後にしばらく我慢しなければならない。
 ピアスを通じ、ゴウが答えた。
『すまんな。アビルト王国でのお前の身分を用意してやる時間がなかったから、お前の力で身分を勝ち取って貰うしかないんだ』
 宮殿が素性の知れない使用人を雇ってくれるわけがない。手っ取り早く宮殿に近付き、諜報活動をするためには傭兵になるのが一番早い。それも下っ端ではだめだ。傭兵隊長に気に入って貰い、一緒に宮殿に連れて行って貰える立場にならなければ意味がない。
 そこまでは、出発前に予め聞いていた。でも何故最初の目的地が酒場なのかがわからない。

『今からお前に行ってもらう酒場に、必ず奴が――傭兵隊長のバヌールがいる』
 その一言で、ミャオはゴウの意図を理解した。マイクを通して相手に伝わるよう、わざと大きめに溜息をついてやる。

(そこらの喧嘩が好きそうな奴にわざと難癖をつけ、叩きのめすことで気に入って貰えってか。苦手なんだよなあ、そういう演技)

 ミャオは仕方なくスイッチを切り替えた。ここまで来た以上、与えられた役を演じるしかない。
 酒場にいるはずの、バヌールとかいう傭兵隊長に気に入って貰うため、なるべく強そうな奴に自分から喧嘩を売るのだ。
 しかしこう着ぶくれしていては、得意の軽業は封じられたも同然だ。頼りになるのはゴウからならった拳法と剣技のみ。
 酒場に入ったミャオは、空いているテーブルを探すふりをして手頃な喧嘩相手を物色した。

(間違っても強すぎる奴に当たって負けるわけにはいかねえからな。それだけ任務が遅れることになるし)

 ――ちょうどいい。あの野郎をぶちのめすか。

 末端の傭兵など、山賊同然の荒くれ者だ。戦争がなければ金も手に入らないので、平和なときには武力と腕力に任せて実際に略奪行為を行う者も多いと聞く。末端の傭兵に酒と女にだらしないならず者が多いのは、どこの国でも同じだ。
「うえっへへ、ねえちゃん。いいケツしてんじゃねえかぁ」
 客の間を忙しく給仕して回っていた女性が、傭兵らしき男に尻をなでられ、真っ赤になって抗議した。
「お客様っ! ここは普通の酒場ですっ! 他のお客様に迷惑ですから、そういうことはやめてくださいっ!」
 給仕はまだ若い女性だ。こういう客への対応は店主から言い含められているだろうに、羞恥と嫌悪に任せてやや強い調子で拒絶している。
「おっほー♪ 気の強いねえちゃん、たまんねーぜぇ」
 立ち上がると、傭兵の身長は2メートル近くあった。酒のおかげで寒さも気にならないのか、上着を脱いでいる。捲った袖から覗く腕は、まるで丸太のようだ。
「ひっ……」
 その威容に圧倒され、女性は息を呑んで後退る。
 やがて女性の背が壁にぶつかった。もう逃げ場がない。
「どうした。もっと俺に注意してくれよぉ」
 傭兵は丸太のような腕を伸ばし、女性へと近付いていく。
「や、やめ……」
 べちゃっ。
「んんーっ?」
 傭兵の頬に投げつけられた物が割れ、どろっとした液体状のものが頬から首筋へと流れ落ちる。
 卵だった。
「誰だこらぁ!」
 傭兵が、たった今卵を投げつけてきた相手を睨み付けた。
 そこに立っていたのはミャオだ。彼はもう一つ卵を手に持ち静かな声で、しかし挑発的に言い放つ。
「盛りのついたオスかてめえは」
「んだとこの優男が! 女の前でカッコつけてんじゃねえぞ!」
 今どき三下ヤクザでも言わないようなセリフを叫び、傭兵はいきなり剣を抜き放った。
 重量感たっぷりの、長くて幅広なグレートソードだ。
「オモテへ出ろっ!」
「ふん。素手にしときゃ怪我も少なくて済んだだろうに」
 ミャオの言葉を聞いた傭兵は、それを強がりと受け取ったのかやや冷静さをとりもどして薄く笑った。
「バカが。今のセリフで手加減する気が失せたぜ」

 酒場のすぐ外に出たふたりを、酒場の客や通行人のギャラリーが遠巻きに囲む。
 しかし多くの視線は細身の男――どうみても勝ち目のなさそうなミャオへの同情、あるいは大男に喧嘩を挑んだ身の程知らずへの蔑みといった色を宿している。
 なにしろミャオの剣は細いバスタードソード。大男が持つグレートソードと剣を交えれば、容易く折れてしまいそうな心細さだ。

 いきなり大男が剣を振った!
 そのあまりの素早さに、ギャラリーの半分はミャオの体が真っ二つになるであろうことを確信し目を閉じた。
 しかし、残り半分のギャラリーが感心のどよめきを漏らす。
 なんとミャオは、大男のグレートソードの上に立っていたのだ。
「このっ!」
 大男は剣にミャオを乗せたまま振り回そうとして――、突然軽くなった剣を振り回し、バランスを崩した。
 すでにミャオは飛び上がっていたのだ。
「ぐああ!」
 大男の顎にミャオの蹴りが命中した。
「なんのっ!!」
 それでも剣を構え直し、軽く首を振って蹴りが効いていない様子をアピールする大男。
 しかし、構えた切っ先の延長線上にミャオがいない。
「ぐさり♪」
 首筋に冷たい感触。いつの間にか大男の背後に回っていたミャオが、剣の峰を大男の首に当てていた。
「まだやるかい?」
 大男はグレートソードを捨て、両手を軽く上げて降参のポーズをとった。
 ミャオが剣を鞘に収める気配を察知するや、大男は振り返りざま拳を放ってきた。
「往生際の悪いことで」
 ギャラリーが見た限り、ミャオが大きく動いたようには見えない。
 しかしミャオの膝がカウンター気味に大男の腹に決まっており、大男は巨体をくの字に曲げて苦しがった。
「よっと」
 ミャオが肘を軽く大男の頭に乗せるように落とすと、大男はあっさり気絶した。
「はい、おやすみ♪」
 「……寒ッ」
支給された厚手のローブに埋もれかけている道化はぼそっと呟いた。
気心の知れたゴウとゆっくり会って気を緩めていられる時間はなかった。
実のところ、そこまで事態は切迫していたのだ。いつ戦争が起こるか分からない。
戦争が起きてからではミャオの領域ではない。戦うのはゴウの分野だ。
戦場の第一線で戦うと云うゴウの仕事。しかし今回は全く勝ち目のない戦いだ。
でも、それでも、ゴウは勝ち目がまるでなくとも戦いに行くだろう。
そして、戦場で死ぬのだあの無駄に生真面目で頑固な幼馴染は。
まさかむざむざ幼馴染を死なせるようなことはしない。いかに間接的だったとしてもだ。
だからアビルト国に来たのは仕方ないし、ミャオの意志でもある、の、だが。
「なんだってこんなに寒いかな…」
今はまだそんなに寒くない。いや、寒くなかったはずだ、少なくともシナリーは。
「うぶぶぶぶぶぶ」
ミャオの生まれ育った地はこんなに寒くなかった。
未経験の寒さは指先を凍らせ、足元から這い上がり、顔の筋肉を強張らせる。
これでは得意の軽業も普段より酷い出来になるだろうことが察せられた。
それはミャオの得意技が封じられると云うことでもあって、無駄とは知りつつ指を擦り合わせる。
摩擦熱のかすかなぬくもりは指同士を離したとたんにすぐに冷めてしまった。
「不毛かよ……くそ」
ゴウがいつもの軽装で出かけようとした自分を結構慌てて引き留めた理由がわかった。
確か彼は北の方の生まれだと聞いたことがある気がする。寒さの恐ろしさを知っていたわけだ。



「お前、まさかと思うけどその格好で行くんじゃないだろうな!?」
出発の用意を整えてさあ出発か、とゴウに告げた途端だった。
珍しくびっくり仰天、と云った風情で眼を見開いたゴウの素っ頓狂な声と態度に、ミャオは面食らった。
「え、なに、なんか駄目なことあんのか?」
お互いに信じられないものを見た、と云いたげにお互いに対して軽く引いている。
傍から見れば滑稽で結構笑える光景なのだが、本人たちは割と本気だ。
と云うか、素だ。
「だってお前、アビルト王国だぞ?」
「いや、そりゃあ判ってるって」
何がいけないんだ、とミャオは云う。幼馴染がこんな反応をする理由が本気で判らないのだ。
「え、じゃあなんで…」
ゴウはもごもごとアビルトだぞ、と繰り返している。
「いや、だからなんだよ?」
「本気でその格好で行くつもりなのか?」
俺がおかしいのか、と困惑しきった顔で問われたミャオは自分の服装を見下ろした。
普段通りだ。
「なんか変か?」
そう真顔で云ったミャオに首を傾げたゴウは答える。
「あそこは永遠に冬だぞ?シナリーの冬と比べ物にならないほど寒いのに」
…初耳だった。
「ローブとかいろいろ防寒具は必須だろうが」
「…そうなのか」
「ああ、お前の身体がなんか不思議な構造になってなくて普通の人間のもんなんだったら、死ぬね」
間違いなく。



間違いなく死ぬと断言されてしまったミャオはそれからいろいろ荷を増やしたのだ。
でもこの荷がなければほんとに死んでただろう。
軽業師とは思えぬほど着膨れしているミャオの銀のピアスから声がした。
新製品とか云う小ぶりのそれはなかなか精度はよさそうだ。声はちゃんと聞こえる。
『ミャオ、こちらシナリー9番支局』
マフラーの内側に仕込んだマイクで無声音で応じた。
「聞こえてるぞー、そんでどこに忍び込みゃいいんだ?」
『今から云う、首都ロスリンのメインストリートを…』
聞き終えたミャオは道化の仮面を被り、まっすぐに目的地へ歩き始めた。
一歩ごとに、この冬国での任務が始まる。

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